2017年9月11日月曜日

Nomineプロフィール

10月に“Education & Bass Tour”日本編(10/11東京、10/12名古屋、10/13静岡)を行うNomine(ノミネ)のプロフィール翻訳を紹介します。Rage〜Outrage〜Nomineと、20年以上に渡って(16才から!!)音楽シーンの表裏に関わってきたヴェテランの経歴です。興味を持ったらリンクも辿って、彼の世界に触れてみてください。

日本ツアーの詳細は、各種SNSやこのブログでも追ってご案内します。

Nomine a.k.a. Outrage

音楽プロデューサー/ベッドフォード大学アドヴァンスド・ミュージック・プロダクション講師

アンドリュー・ファーガソンはダンス・ミュージックにおいて熟練している。1995年以来、彼は英国のダンス・ミュージック・コミュニティにおいて、パイレーツ・ラジオの所有者でありDJ、ツアーDJ、プロデューサー、メールオーダーの革新者、レーベル・オーナー、プロモーター、講師など、様々な地位に就いてきた。ファーガソンは全ての面を独学し、音楽業界の浮き沈みも経験した。近年は、新たな気合いとともに、シンプルに自分自身を表現したいと前線へ復帰している。

全ては1995年に始まった。ジャングルと新しいドラム&ベース・サウンドに魅了されたファーガソンは、レイジを名乗り地元ベッドフォードでパイレーツ・ラジオ〈ショックFM〉を開設した。この決断はすぐに彼自身のUKツアー開始へと繫がり、16歳のときには学校を退学しキャリアを売り出すことに専心した。彼はメールオーダーのプロモ会社〈ジャングル・リックス〉を立ち上げ、それが後のコネクションとなった。このアイデアは受け入れられ、初期〈バッド・カンパニー〉、〈レネゲイド・ハードウェア〉、〈メトロ〉、〈V・レコーディングス〉など、クラシックなドラム&ベースを扱うようになり、国際的に高まるエクスクルーシヴ・12インチの需要に応えた。1999年には、ファーガソンはロンドンのシーンに溶け込み、国際的にツアーを行い、〈リンスFM〉でDJを務め、伝説的な〈ミュージック・ハウス〉でダブプレートをカットする常連となった。その頃、バッド・カンパニーのDJフレッシュは、若きファーガソンに、自分のキャリアのどの側面に集中するかを考えるべきとアドバイスしたという。その結果ファーガソンはDJと制作に集中し、1999年にL・ダブルの〈フレックス・レコーズ〉から最初のリリースを果たした(訳者註:ストンプのシングル『スネークス』に参加したがクレジットされなかったそう)。その後、当時もうひとりの新鋭として注目されていたアミットと、トロニックレイジ名義で親交を深めていく。2001年、MCレイジとの混同を避けるため、ファーガソンはアウトレイジに改名する。



次の10年間、ファーガソンは世界的に拡大したドラム&ベースのシーンに深く身を置いた。デジタルとスピリットのサポートにより、彼はゴールディーの〈メタルヘッズ〉からリリースすることになった。それには、ゴールディーがダンスで聴いて午前4時に電話をかけてきてリリースが決まったという「ペイシェンツ」も含まれている。作品における成功は、彼をいくつかのワールド・ツアーに送り込んだ。2007年、ファーガソンはタイに移住し、ツアー人生での緊張感を実感する。その後、彼はデジタル、モジュラー、ラッティ&タンゴ、ランドールと、初期の4/4リズムとシンコペートしたブレイクビーツに回帰した、よりスロウな“ジャングル・テクノ・サウンド”に捧げるレーベル〈J-テック・レコーズ〉を立ち上げる。音楽においてタイミングは全てで、不運にも同じ140bpmで展開するダブステップの隆盛と重なった〈J-テック・レコーズ〉は休止することになってしまう。ファーガソンは、ドラム&ベースの枠を超え、ビル・ラズウェルの実験的アルバム『イナモラータ』に、ハービー・ハンコック、アミット、近藤等則、ジョン・ゾーンらと並んで参加する。2008年から2011年の間、デジタルの〈ファンクション・レコーズ〉からアルバム『レッド・レター』をリリースし、彼はアウトレイジという変名を止め、アメリカへ移住する。ドラム&ベースの新旧の名前が並ぶ、ブリクストン〈プランB〉での日曜夜の定期的セッション〈テマ〉をホストする為に英国へ戻るまで、移住生活は続いた。



15年に及ぶゲームの後、ファーガソンは彼の人生を形成した音楽の喧噪、エゴ、そして方向性から離れる道を選んだ。彼は、商業目的でなく自身の楽しみのために140bpmのトラックを作り始めた。しかし人生は別の考えを抱き、彼の引退は1年で終わることになる。2012年、3つの出来事が立て続けに起こったのだ。彼がベッドフォード大学の修士過程に進むと、大学は彼にライヴ/DJコースで教える仕事を(資格が無いのにも関わらず)依頼、修士号取得に晴れてアドヴァンスド・ミュージック・プロダクションの講師となった。そして、アミットを通じて彼の新しい作品のひとつを聴いたヤングスタによって、音楽シーンが再び彼を呼び出した。ファーガソンは、別名をノミネ(ラテン語で“名前なし”を意味するSine Nomineから)とし、伝説の〈テンパ〉と契約を果たす。

これまでの教訓と、制作への新しい興味を持ちながら、ファーガソンは自身の新たな居場所での匿名性を味わった。〈テンパ〉から5枚、アミットの〈アマー〉から1枚のEPをリリースしたノミネは、2015年にデビュー・アルバム『インサイド・ノミネ』を完成。ファーガソンは、彼の豊富な経験から、テクノ、ダブステップ、そしてドラム&ベースの世界にまたがる鋭いサウンドを披露した。 ノミネのデビュー・アルバムの後、ファーガソンは世界ツアーを開始し、彼の素性を明かすことにした。彼が自分の家にFM送信機を設置してから20年となる2016年、彼はレーベル〈ノミネ・サウンド〉を立ち上げ、彼の音楽への愛と情熱を、それを聴いてくれる人たちに送り続けている。

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Nomine “Education & Bass” Japan Tour
info: http://www.bs0.club/nomine

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